秋葉原事件―「自由」と「文化」を奪うな!
                            080619投稿 Rさん


 東京・秋葉原の歩行者天国で6月8日(日)に発生した「通り魔事件」は、7名もの尊い命が失われた悲惨な事件でした。亡くなられた皆様には、哀悼の意を表したいと思います。ここでは、事件を受けての「ホコ天」廃止策動などで街路の自由が失われようとしていること、そしてそれは1つの「文化」の命運にかかわる問題であることを提起したいと思います。

 私は、事件の数日後に現場を訪ねました。ニュースで報道されている通り、現場交差点の一角には献花台が設置され、花や飲み物を供えて手を合わせる市民の姿が引きもきらない状況でした。

 街は、警棒を持った警官とマスコミ取材陣に制圧されていました。その中で、フジテレビのクルーが「アキバのホコ天廃止に賛成?反対?」のシール投票形式のインタビューをしていました。私はその横を通り過ぎただけで、取材は受けませんでしたが、もしインタビューされたなら、速攻で「反対」に投票しようと思いました。

 確かに悲しむべき事件ではありましたが、だからと言って「ホコ天廃止」を言うのは極めて対症療法的・短絡的な愚かな発想だと言わねばなりません。
 しかし現実的には、事件以後のホコ天は「当分休止」とされ、このままなし崩し的に「廃止」とされる可能性も残る、問題のある対応が取られてしまいました。

 ところで、今回の事件に関しては、不安定で先の見えない派遣労働という容疑者の置かれた環境をとらえた冷静な報道や分析がある一方で、容疑者の「アニメ・ゲーム・ネット趣味」に着目した「アキバ系のオタクは危険」とのイメージ報道が、またぞろまかり通っているようです。その原点こそが、6月17日に死刑執行が明らかになった宮崎勤死刑囚による事件な訳ですが、そうした心ない偏見で、肩身の狭い思いをしている「アキバ系」の人々は決して少なくないと思います。

 私は鉄道趣味人、一般的には「鉄道オタク」と言われる部類の人間で、今の「アキバ系」の主流をなすアニメやゲーム系ではありませんが、私の顔を見て趣味が鉄道と聞くなり、「あら、どうりでオタクっぽい顔してると思ったわ」という侮蔑を込めた反応に出くわしたことが何度もあります。
 その時の「言葉にならない屈辱感」が、差別や偏見と闘う基本的な考え方を身につける大きなキッカケになったことは間違いありません。

 アキバの街、そしてホコ天は、普段肩身の狭い思いをさせられている人々が心を解き放つことができる、大切な拠り所でもあると思います。
 ホコ天休止・廃止は、そういう貴重な「場」を根こそぎ奪い、1つの「文化」を壊滅させてしまうことにつながるでしょう。

 秋葉原では以前から、オタクを狙い撃ちにした職質や持ち物検査をされ、コスプレの格好をしているだけで「逮捕だ!」と脅されるという事態が進行していました。そこに来て、今回の殺人事件を口実にしたホコ天廃止策動です。

 「事件の再発防止」「被害者・遺族の心情を考慮」などが真の目的ではなく、「世間一般」と警察権力が寄ってたかって、自分たちに理解できない「異物」を「社会の敵」として一掃しようとしているようにしか、私には思えません。

 こういう社会は、行き着くところ「戦争」の社会です。
 アキバの街を壊して、自由な表現空間が失われていくようなことを、犠牲になられた方々も決して望んではいないと思います。
 事件を利用して管理と抑圧を強化する動きに、キッパリと対決する必要性を痛感します。


マガジン9条/雨宮処凜がゆく!「ストップ硫化水素自殺・無差別殺人」
http://www.magazine9.jp/karin/080618/080618.php

マガジン9条/森永卓郎の戦争と平和講座「秋葉原事件の本質は何か」
http://www.magazine9.jp/morinaga/dai027/dai027.php

桃井はるこさん(声優)ブログ/「中央通りで起きた事件について」
http://ameblo.jp/momoi-ktkr/entry-10104915057.html

Thirのはてな日記/「歩行者天国の廃止は逆効果」
http://d.hatena.ne.jp/thir/20080611/p1
(注:一部に「キチガイ」との不適切な表現あり)